いわしやの起源・由来諸説

「いわしや」誕生にまつわる諸説

なぜ魚の「鰯(いわし)」から医療機器の屋号「いわしや」が生まれたのでしょうか。正確なところは残念ながら未だわかっていませんが、その由来として様々な説が現在まで語り継がれています。

ここでは、その一部を紹介します。

2代目岩本藤吉郎翁

「いわしやの岩本家とも申すべき一家は、泉州堺市に実在する、岩本藤兵衛である」

(藤吉翁は昭和31年9月18日、84歳の天寿を全うし他界した)

伊藤賢治著『回顧50年』

「いわしやの祖先は、泉州堺の商人岩本孫兵衛で、寛永(1624〜44年)のころには鰯屋と称して魚屋を営み、寛文3年(1663年)江戸に出て、薬種問屋を開業したのがはじまりで…」

(伊藤賢治氏は「伊藤超短波」の社長で、元いわしや岩本藤吉商店に大正6年末まで勤めた人物である)

松本善治郎著『いわしや由来』

「この珍しい商号の起源は諸説さまざまで、例えば先祖が、徳川家康の江戸入府に扈(こ)縦の途中、どこかの海上で、船中に鰯がとびこんだのを吉端として、名付けたものだという語り伝えもあるようですが、これは恐らく牽強附会で、実際は徳川幕府開設のころ、江戸本町の店を開いた業祖が、泉州堺の網元(漁業)関係者で、当時堺が開港場であった関係から、渡来薬品を取扱っていたものが、江戸に移住し、その出身地を象徴するために、魚にちなんだ屋号をつけたのであろうという説が、先ず真に近いものと思われます」

(松本善治郎氏は、サクラのいわしや松本器械店社長である)

平成18年4月22日付 東京新聞

保健産業事報19号

「岩本家は、堺の魚市場で魚屋を営み〝いわしや〞の屋号で盛大に代々伝えられてきた。その〝いわしや〞には、家伝薬と称すべき〝いわしやの乳の薬〞が売られていて、この薬の原料が鰯から採取されたものだったので、屋号もそれを基にして付けられ、大正7年ごろにはまだその古い看板がかけられ保存されていた」

(昭和25年10月1日発行の同紙記事による)

某いわしや器械店(口伝)

「ある時、オランダ船が江戸品川に上陸した際、その船の船医が近くの飯屋で鰯の煮付けを食い、非常に美味だったので、代金として医療器械を置いていった。それがそもそものいわしや医科器械店誕生の起源になった」

厚生省(厚生労働省)療品課『療品』誌

「寛永年間、泉州堺に於て、岩本孫兵衛が開祖であって、最初〝鰯屋〞と称し、鰯の子を販売していたが、のちに江戸に薬種店を開き、寛文3年(1663年)に江戸薬種問屋の仲間に加入し、〝いわしや〞と号し、薬とともに医療器械を販売していた」