いわしや400年の歴史

信頼の証である「いわしや」

「いわしや○○器械店」などと「いわしや」の商号(名称/屋号)を会社名に冠していた医療器械業者は、昭和30年代には全国に少なくとも80者(社)ありました。当時の医療機器業界において、由緒ある「いわしや」の名称に医師は絶大な信頼を寄せていました。そのため、「いわしや」と言うだけで商売上の信用と経験が認められたとも言われています。

なぜ、医師は「いわしや」を信頼していたのでしょうか。そこには、いわしやが築いてきた長い歴史がありました。

昭和三十年頃の本郷界隈の地図
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いわしやの始まりは400年前

「いわしや」のルーツは、今から400年近くまで遡ります。

江戸時代・寛永(1624〜44年)のころの「薬種店(ヤクシュダナ)」が「いわしや」の起源とされていますが、この歴史のある「いわしや」の言われについては、諸説があります。

いわしやの起源・由来諸説
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江戸から明治・大正、昭和にかけてと、薬種問屋の傍ら医科器械類を扱っていた店が、後に医科器械を専門とするようになり、その後いわしやで修行した人が次々と〝いわしや”を名乗るようになり増えていったと考えられています。

「いわしや」の系統には、「岩本姓系」と「松本姓系」があります。現在、松本姓系としてはサクラグローバルホールディングを始めとし、東京ダイヨー器械店、カジノ医科工業などが、岩本姓系としては伊藤超短波を始め、瑞穂医科工業、永島医科器械などがいわしやの歴史と伝統を継承していています。両系統とも業祖は和泉国堺(大阪府堺市)で網元をしており、同時に薬種店を営んでいました。薬種店がどうして「いわし(鰯)」の名を屋号としていたかの理由については、残念ながら正確に伝承されていません。

いわしやの系譜
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平成18年4月22日付 東京新聞